INTERVIEW

新たに植えられた私たちが、風景の一部になるまで。 前編

新たに植えられた私たちが、
風景の一部になるまで。 前編

グラフィック・デザイナーで写真家の前田景さん、レストラン〈SSAW BIEI〉を営む料理人のたかはしよしこさん夫妻が、北海道の美瑛町に引っ越してきたのが2020年のこと。景さんの祖父で風景写真家の前田真三さんが作ったフォトギャラリー〈拓真館〉の運営を父の前田晃さんが引き継いでいたために、景さんにとっては幼い頃から遊びに来る場所でした。結婚後は夫婦にとって大事な土地となり、娘の季乃ちゃんが生まれてからは「自然の中で子育てをしたい」と移住への思いが強くなっていったと言います。景さんは〈拓真館〉の運営を引き継ぐことを決め、よしこさんは敷地内の森の中にレストランを作ります。新しい日々を歩み出した二人に、美瑛での暮らしと子育てについて聞きました。

―― 移住のきっかけはやはり〈拓真館〉だったのですか?

前田景(以下、景) 東京に住みながら時々訪れて「もっとこうした方がいいんじゃないか」と外から言っていても、なかなか伝わらない。本腰を入れてリニューアルするなら、住みながらでなければできないなとは思ってました。ただ、仕事もあるし、よしこはお店もあるし、季乃も幼稚園に通っている。いつなら美瑛に引っ越せるのかなって、ずっとタイミングを探していた気がします。動機はずっとあったけど、実際に決めたのは、娘が小学生になるタイミングでした。

たかはしよしこ(以下、よしこ) 私もレストランをしていて、せっかく東京で積み上げてきて、ようやく常連さんもついてくれていたのに、また一から始めなければいけないのかっていう不安はありました。

 実際に引っ越すまで、現実感がなかったんですよね。よしこからも「本当に行く気あるの?」って何度も聞かれていたくらい。

よしこ 前田家の親戚たちからは、「よしこちゃんが行きたいんでしょ?」って言われてましたね。みなさん美瑛には長く通っているから「住むのは大変よ」って。私自身もすごく行きたいと思っていたわけではないんです。

 〈拓真館〉は悠々自適でやっているのかなと思ったら、そうでもなかったから。父がリタイアする時に、もう限界という状態で渡されたら手遅れかもしれない。だから、今、救出せねばと思っていたのは確かです。

―― それが、移住を決めた決定打だったのですか?

 現実感がずっとなかったのに、急にリアリティが出てきたのは、小学校を見に行ってからなんです。とりあえず何かリアクションをしなければって、幼稚園を卒園する半年前くらいに見にきて。

よしこ その小学校がもう本当に素晴らしかった。

 全校生徒三十人くらいの小さな小学校で、ちょうど休み時間だったのかな。子どもたちがワーっと出てきて、一緒に遊ぼうって。

よしこ 「何て名前?」「遊ぼう!」ってすぐに遊び始めた。一年生から六年生までみんな互いに名前を覚えていて、兄弟みたいに校庭で遊んでいたんですね。私は都会育ちなので、同じ学校に通っている生徒たちの顔はわかっても、名前まではとてもわからない。でも美瑛の子どもたちは、先生にも飛びついて遊んでいて、もしも先生が違う学校に行くとなると、みんな泣くらしい。自分が小学生の頃を考えたら、先生がいなくなって泣いたことなんてないですから。季乃も「行く!」って言って、おお、決まったと。

―― 子どもが「行く!」と、お二人の背中を押してくれた、と。

 うちの子のキャラクター的にも、いっぱい子どもがいる中では遠慮してしまうのではという思いもあったんですね。東京の幼稚園もよかったけれど、人数が多い分、季乃は本領を発揮できていない部分があった気がしていたから。

よしこ でも美瑛の小学校に入ってみると、うちの子だけじゃなく、みんなが発揮し合っている。人数の少なさもあるとは思うけど、美瑛という土地が、そうさせてくれているんだと思います。

 季乃にとっては、この風景が原風景になるんだなって。僕らにとっては新たに来た場所ですけど、彼女にとってはここが自分のルーツになる。正直、裏ましいです(笑)。

後編はこちら