INTERVIEW

100歳の豊かさは、1日を感じることから。柚木沙弥郎さんインタビュー<後編>

100歳の豊かさは、1日を感じることから。
柚木沙弥郎さんインタビュー<後編>

ランドセルのかぶせ裏には、100歳の染色家・柚木沙弥郎さんの作品を使っています。柚木さんのアトリエに伺うと、小学生の時に見た飛行船「ツェッペリン号」を描いた作品が飾られていました。心の中に輝き続ける存在として、その景色を覚えていると言います。+CELのランドセルに使ったかぶせ裏の作品が、そういう存在になってほしいと柚木さんに伝えると、目を見開いて、「そうなるといいねえ」と頷きました。毎日使うものだからこそ、美しいものを。「80歳を越えてから、より自由になった」という大先輩は、子どもたちにどんな想いを抱いているのでしょう。このランドセルを贈る、大人たちへのメッセージもお聞きしました。

――柚木さんは、子どもの頃にランドセルを背負ってましたか?

背負ってたけど、あんまり大事にしてなかったね(笑)。(+CELを手に取りながら)こんなに立派じゃなかったよ。記念撮影の写真があるけれど、ランドセルを背負って、心配したような顔をして写ってる。頼りないね。小学校の頃は、僕はあんまり元気がなかった。体が弱くて、だからあんまり学校に行くのが好きじゃなかったですね。つらい、悲しい気持ちありました。学校には行きたくない日もあるね。上級になったら体が丈夫になって元気になったけれど。だからランドセルに教科書をいっぱい入れて、とにかく学校に元気よく行ってほしいです。

――体が大事ですね。

うん、体が丈夫になると子どもは自然に元気になるね。昔は遊ぶ時間が多かったでしょう。今の子どもはすごく忙しいね。子どもは暇がいいですよ。何かをやらなくちゃいけないなんてない。

――子どもの頃の記憶としてもっとも印象に残っていることはなんですか?

(世界一周をした飛行船の)ツェッペリン号が通ったのが、子ども時代のハイライト。学校より大きく見えたんだから。ブーンっていう厳かな音がしてね、灯りがついてきれいでしたよ。もうヒットでしたね、それは。そういう何かに出会えたらいいね。僕の両親は岡山県の倉敷の出身で、夏になるとそこの海に行ってたね。山を越えていくと畑の匂いがして、海が見える。目の前には水島という島があって、遠くに四国が見える日と見えない日があってね、今でも目に浮かびます。そういう景色を持っておくといいかもしれない。

――子どもの頃の記憶や経験が、現在の作品に繋がっていますか?

子どもの頃の記憶がつくっているものの材料になっているかと聞かれたら、直接ではないけれど、きっとなっているんでしょう。だからね、毎日、一生懸命やればいいんだよ。それだけですよ。

PROFILE

柚木沙弥郎

染色家・アーティスト。1922年、東京都生まれ。1946年、岡山県の大原美術館に勤め、柳宗悦の「民藝」に出会い芹沢銈介に師事し染色家として型染による染布、染絵など多くの作品を制作しながら、女子美術大学で教鞭をとる。染色のほか、版画、人形、絵本などさまざまな作品を制作・発表。
国内外で数多くの個展を開催。2024年逝去、101歳。