INTERVIEW

娘が世界へ踏み出す一歩をカメラを通して見つめる父。

娘が世界へ踏み出す一歩を
カメラを通して見つめる父。

入学式は、子どもたちにとって特別なだけでなく、親にとってもまた新たな一歩を踏み出す日。フォトグラファーの阿部ケンヤさんは、+CELのランドセルを背負って、初めて通学路を歩く娘を見守りながら、「自分が親であることを再確認した」と言います。タイミングよく満開の桜に迎えられた入学式の父と子の物語。阿部さんが撮影した、心の動きがとても伝わる写真を見ながら、お話を伺いました。

―― 入学式は、いかがでしたか?

阿部ケンヤ(以下、阿部) とても良いイベントでした。自分が親という立場で成長していくためには、節目節目でこうした実感が大切なんだなと改めて思いました。妻は、上履きを揃えたり、入学準備の段階で常に寄り添っていたからか、すでに心の整理ができていたみたい。僕は妻に頼りっきりだったので、入学式の当日に「ああ、成長したんだな」とグッと来ましたね。

―― お子さんは、どんな反応でしたか?

阿部 楽しさ8割、不安2割くらいのバランスだったと思います。知っている友達がいるかな? と心配していたみたいです。同じクラスにはなれなかったようですが、入学式の後には声をかけて話していたので、彼女なりに消化できたんだと思います。積極的に声をかけて、友達作りも得意なタイプなので、親としては安心ですよね。

―― ご家族みなさんにとっても特別な1日になりますよね。

阿部 実は娘が通う小学校は、僕の母校なんです。もっと言えば、僕の母親の母校でもある。なので、校歌も知っているし、体育館も当時から変わっていませんでした。何十年ぶりに入った既知の景色の中に、娘がいることがとても不思議で、感慨深くなりましたね。僕は、今でも一年生の担任の先生を覚えているんですね。大袈裟に言ってしまえば、彼女の運命と言うか、人生がスタートしたんだなって。そこには親が手を出すことはできない。自分で切り拓け! っていう感じです(笑)。
その中で、やっぱりランドセルは象徴的な存在なんだなと思いましたね。世代を越えて変わらないアイテムだから、良いことも苦い思い出もランドセルと共に思い出されると言うか。記憶を繋いでくれる。母校であることも手伝って、つい自分の記憶と重ね合わせてしまうんですが、もう一度、小学生を体験しているような感覚になる。それもまた娘が小学生になったからこそ得られた喜びのひとつかもしれません。

―― 入学式の前後で、お子さんに変化はありましたか?

阿部 今日から一人で登校するみたいです。どうやら友達が挑戦すると聞いたらしく、自分も行ってみたいと。やっぱり周りの環境はとても重要で、一人ではできなかったことが友達に触発されてできるようになる。それはすごいことだと感じました。逞しくなっていくんだなって。初めての環境で、きっとストレスもあるんだろうけど、毎日すごく濃い時間を過ごしているんだと思います。

―― きちんと自分の足で歩き出していると。

阿部 ランドセルに教科書を入れる準備も、できるだけ自分でしようとしていますね。それは彼女の中に、ランドセルは自分のものという感覚があるから。自分でやりたいんですよね。自我が芽生え始めているのだと思います。どんどん自分でできることが増えていって、親としては成長が感じられてとても喜ぶべきことなんですが、どこか少し寂しかったりもしますね(笑)。

―― 少しずつ親元から離れて行ってしまう寂しさも混ざっている。でも、だからこそ入学式は良いイベントなのかもしれませんね。

阿部 本当に。今回は、+CELで掲載していただくために、半分仕事、半分プライベートな気持ちで自分の娘を撮影したんですが、やっぱり複雑な気持ちでしたね。フォトグラファーとしてのスイッチを入れて撮っているのに、ふとした瞬間に感慨深くなって、気持ちが忙しかったです(笑)。撮影のために何度か歩いてもらったり、みんなが帰った後の教室で撮影したり、プライベートではさすがにそこまで演出をしないから、彼女にとっても父の仕事と向き合った特別な時間になっているはずです。

―― 入学式のドキュメントであり、フォトグラファーとしてプロの目線もあり、阿部さんの複雑な思いも写っているように思います。やっぱり写真を撮ることは、愛情表現でもあるんですね。

阿部 そうなんです。娘が生まれてからずっと写真を撮っていたから、カメラを向けられることには今のところ抵抗がないみたい。いずれ『ちびまる子ちゃん』のたまちゃんのお父さんのように、いつもカメラを構えて、娘から「もうやめて」って言われるようになるのかもしれません(笑)。
天気予報ではずっと雨だったんですが、今年の入学式は、晴天で桜が満開で本当にホッとしました。最近では入学式と桜の開花がぴったり合うことがあまりないと聞いて、本当にラッキーだったんだなと。祝福されている気持ちになりました。大袈裟なことを言えば、生と死じゃないけれど、僕ももう40歳になって自分の寿命を考えたりして。僕の両親も孫の様子を覗きに来ていましたが、かつてはこんな気持ちだったのかなと思ったり。こうして巡り巡っていくんだなと、入学式からの帰り道で思っていました。悲観的な意味ではなく、娘も自分も、着実に進んでいることが実感できて、本当に感慨深かったです。